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滝内弥瑞生 氏(たきうちやすお)

プロ野球選手、指導者[日本]

(西鉄で内野手として活躍)

2018年 9月23日 死去享年84歳

滝内 弥瑞生(たきうち やすお、1935年10月30日 - 2018年9月23日)は、福岡県出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。
経歴= 戸畑高校ではエース・中島孝司(南海)を擁し、3年次の1953年に夏の甲子園県予選で決勝に進出するが、後にプロで同僚となる東筑高の仰木彬投手に抑えられ惜敗。
卒業後の1954年に西鉄ライオンズへ入団。
3年目の1956年に一軍に定着し、内野のユーティリティプレイヤーとして39試合に先発出場。
また代走・守備要員としても起用され、同年からの3年連続リーグ優勝・日本一に貢献。
1年先輩の正遊撃手であった豊田泰光が少し打撃不調になると、滝内はベンチの横に来て「あんたが打てんかったら何の取り柄もなか。
いつでも代わるばい。
」と刺激を与えた。
1960年には仰木の控えながら、主に二塁手として56試合に先発出場。
守備要員としての出場が多く通算打率は1割台にとどまるが、同年には打率.249を記録している。
1961年にも61試合に先発を果たすが、その後は出場機会が減少し、1963年限りで現役を引退。
引退後は西鉄→太平洋→クラウン→西武で二軍守備コーチ(1964年 - 1965年, 1968年 - 1971年, 1975年 ,1977年 - 1981年)・一軍コーチ兼スコアラー(1966年 - 1967年)・一軍守備コーチ(1972年 - 1974年, 1976年)、近鉄で二軍守備・走塁コーチ(1982年 - 1984年)→一軍守備コーチ(1985年)→一軍内野守備コーチ(1986年 - 1988年)→二軍監督(1989年 - 1992年)→スカウトを務めた。< ……

滝内弥瑞生さんが亡くなってから、6年と59日が経ちました。(2251日)

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