原田孝一 氏(はらだこういち)
元プロ野球選手、元審判員[日本]
(阪急で投手として活躍し、通算43勝44敗。)
2019年 12月24日 死去慢性心不全享年92歳
原田 孝一(はらだ こういち、1928年6月15日 - 2019年12月24日)は、熊本県出身の元プロ野球選手。
ポジションは投手。
来歴・人物=
熊本商業では、エースとして戦後初の1947年春の選抜に出場。
初戦は強豪広島商に勝利、「田舎の高校生が初めて甲子園のマウンドに立ちホームベースまでがやたらに遠く感じた、試合終了後にやっと地に足が着いた」と。
2回戦に進むが徳島商に敗退。
同年夏は熊本県予選直前に海軍予科練復員後の在学期間認定問題により出場停止の事態となる。
翌1948年春の九州高校野球大会では決勝で全国大会二連覇中の当時一点を取るのは至難の業と言われた小倉中福嶋一雄と投げ合い延長十七回の熱戦を制し、熊本市内の映画館では一時上映を中止して「熊商九州制覇成る」の臨時ニュースが流れた。
1949年に阪急ブレーブスへ入団。
2年目の1950年に初勝利、1952年には9勝を挙げた。
1954年には初の2桁勝利となる15勝を記録した。
打撃では通算打率.203 本塁打4 打点23、 自らのサヨナラホームランや3者連続三塁打は今もNPB記録。
1959年に南海ホークスへ移籍するが登板機会はなく、同年限りで引退した。
独特のオーバースローフォームからの剛球、カーブ、ドロップ、シュートが武器。
引退後はセ・リーグのプロ野球審判員を務めた。
妻は35期宝塚歌劇団員、兵庫県西宮市で「季節料理 はらだ」を経営(2010年引退)。
2019年12月24日、慢性心不全のため死去。
91歳没。
……
原田孝一さんが亡くなってから、4年と333日が経ちました。(1794日)