アントニン・レーモンドAntonin Raymond
建築家[チェコスロバキア→アメリカ]
1976年 10月25日 死去享年89歳
アントニン・レーモンド(Antonin Raymond, 1888年5月10日 - 1976年10月25日)は、チェコ出身の建築家。
フランク・ロイド・ライトのもとで学び、帝国ホテル建設の際に来日。
その後日本に留まり、モダニズム建築の作品を多く残す。
日本人建築家に大きな影響を与えた。
第二次大戦時アメリカの対日戦争協力者でもあった。
生涯=
父アロイと母ルジーナの間の1男第3子アントニーン・ライマン (Antonín Reimann) としてオーストリア=ハンガリー帝国(現在のチェコ)クラドノで生まれる。
プラハ工科大学で建築を学び、卒業後の1910年にアメリカへ移住。
カス・ギルバートの下で働き、1914年には仕事仲間であったノエミ・ベルネッサン(en:Noémi Raymond)と結婚し、1916年にアメリカの市民権を得るとともに姓をレーモンド (Raymond) に改姓する。
同年妻ノエミの友人の紹介でフランク・ロイド・ライトの事務所に入所。
1918年、第1次世界大戦が勃発すると、アメリカ軍から徴兵され、一旦はライトの下を離れる。
大戦終了後、ライトから帝国ホテル設計のための日本行きを打診され、再びライトの下で働くことになる。
1919年、帝国ホテル設計施工の助手としてライトと共に来日。
1922年独立し、レーモンド事務所を開設する。
ライトの影響が余りに強烈であったため、そこから抜け出すのに苦労したという。
聖路加国際病院などの設計をベドジフ・フォイエルシュタイン(Bedřich Feuerstein、オーギュスト・ペレ ……
アントニン・レーモンドが亡くなってから、48年と27日が経過しました。(17559日)