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津端修一 氏(つばたしゅういち)

建築家[日本]

2015年 6月2日 死去享年91歳

津端 修一(つばた しゅういち、1925年1月3日 - 2015年6月2日)は、日本の建築家、都市計画家、評論家。
愛知県岡崎市出身。
来歴= 1945年に海軍技術士官として厚木飛行場に赴任するが終戦を迎える。
1947年に新制東京大学に再入学する。
1951年、東京大学第一工学部建築学科卒業。
丹下健三の下で住宅問題の研究をテーマに卒業論文に取り組む。
前川国男の建築設計事務所への入所を希望するが前川と太田博太郎の推薦でアントニン・レーモンドの事務所に所属する。
その後坂倉準三の建築設計事務所を経て、1955年日本住宅公団発足と共に入社。
日本住宅公団勤務時、多摩平・高根台団地、阿佐ヶ谷住宅をはじめとする多くの団地を設計するなど、公団初期の全体計画を手がける。
一方で増沢洵らと逆スラブやラーメン構造の中層集合住宅の基本設計や設計基準を作成していく。
団地設計は土木設計と配置設計が分離。
東京支所設計課団地係のチーフであったが、1961年からは愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの計画・設計にたずさわることとなった。
新しい広島大学キャンパス・賀茂学園都市の計画設計に携わるため、広島大学総合科学部教授として赴任。
新広域市町村計画審議会委員。
黒瀬川流域管理計画調査を推進。
その後、名城大学教授、三重大学客員教授を経て、高蔵寺ニュータウン内にて自給自足の半農生活のかたわら、フリー評論家として活動した。
1969年、高蔵寺ニ ……

津端修一さんが亡くなってから、9年と173日が経ちました。(3460日)

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