三鬼陽之助 氏(みきようのすけ)
経済評論家[日本]
2002年 10月5日 死去享年96歳
三鬼 陽之助(みき ようのすけ、1907年8月3日 - 2002年10月5日)は、日本の経済評論家。
財界のご意見番と称された。
来歴・人物=
三重県尾鷲市に生まれる。
1931年、法政大学法学部に在籍し、法政大学弁論部の一員として活動。
大学を卒業後は、ダイヤモンド社入社。
経済記者となる。
その後、1944年に東洋経済新報社、『投資経済』編集長などを経て、1953年に財界研究所を設立し、社長に就任。
雑誌『財界』を創刊し、戦後の経済復興に取り組む企業経営者を取り上げた。
永野重雄(元日本商工会議所会頭)・小林中(元日本開発銀行総裁)・桜田武(元日経連会長)・水野成夫(元産経新聞社長)の4人を「財界四天王」と命名した。
著書は『東芝の悲劇』『日産の挑戦』『毛沢東語録入門』など101冊に上り、「財界のご意見番」とも呼ばれた。
著書は企業内の抗争を解き明かしたものが多く、多くの読者を獲得した。
また「経営トップは常に現場に立って」と説き、自らの会社評論・経済評論でも、この現場主義を貫き通した。
回想評伝に、佐藤正忠『三鬼陽之助 筆者だけが知る「財界指南役」の実像』(経済界、2003年)がある。
著書=
会社と経営者 投資経済社 1936
財界夜明け前 東西出版社 1947
財界夜話 新榮出版社, 1949.1
財界新人物論 新榮出版社, 1949.4
財界巷談 ファー・イースト社, 1952
億万長者 日本出版協同, 1953
兜町 要書房, 1953
財界新山脈 駿河台書房, 1953
金融 要書房, 1953
財界 要 ……
三鬼陽之助さんが亡くなってから、22年と62日が経ちました。(8098日)