西丸震哉 氏(にしまるしんや)
生態学者[日本]
2012年 5月24日 死去享年90歳
西丸 震哉(にしまる しんや、1923年9月5日 - 2012年5月24日)は、日本人の食生態学者、エッセイスト、探検家、登山家。
来歴=
東京府生まれ。
関東大震災の直後に生まれたので、祖父が「震哉(ふるえるかな)」と命名したという。
母方の祖父の弟が島崎藤村。
兄に西丸四方と島崎敏樹(共に精神科医)がいる。
東京水産大学製造学科卒。
山登りが好きで仕事と趣味で、若い頃は毎年100日は山にこもったという。
大学卒業直後、釜石市の岩手県水産試験場勤務を経て農林省に入省し、初代農林水産省食料研究所官能検査研究室長をつとめ、日本国内・国外各地に探検旅行をして、食糧危機や文明破局論を唱え続けた異色官僚として有名であったが、1980年に自主退官。
台湾山脈、パプアニューギニア、アマゾン熱帯雨林、アラスカ、南北両極圏など世界の秘境を踏破。
それらの調査から「食」を通じて人間の行動様式を研究する「食生態学」を確立し、自ら食生態学研究所の所長として「現代社会の異常性に警鐘を鳴らす」著作活動を続けた。
さらに科学、医学、天文など幅広い分野に精通していた。
若い頃から鮮明な幻覚を見る事がよくあり、幽霊やいわゆる超能力現象に興味を示し、科学者として可能な限り客観的な記録や解析を行おうと努めた(「未知への足入れ」、「山だ原始人だ幽霊だ」、「山とお化けと自然界」など)。
さらに、登山中や農林水産省勤務中に経験した動物の珍しい行 ……
西丸震哉さんが亡くなってから、12年と181日が経ちました。(4564日)