上野瞭 氏(うえのりょう)
児童文学作家[日本]
2002年 1月27日 死去胆管がん享年75歳
上野 瞭』(うえの りょう、1928年8月16日 - 2002年1月27日)は、日本の児童文学作家。
息子の上野宏介はイラストレーター。
来歴・人物=
京都府京都市生まれ。
本名は瞭』(あきら)。
父は炭や米を扱う商人で、戦後は食糧公団に勤め、京都米穀株式会社の役員となるが、晩年は不遇だった。
母は眼を病んでいた。
6人兄弟の長男。
第二錦林尋常小学校時代から「少年倶楽部」を愛読するが、「よい子」「頑張る子」「できる子」への反発から佐藤紅緑と佐々木邦だけは読まなかった。
京都市立第二商業学校時代に太平洋戦争が開戦し、舞鶴へ学徒動員に送られる。
立命館専門学校二部在学中から「木馬」「子ども・詩の国」に童話を発表し始める。
同志社大学文学部文化学科に編入し、哲学を専攻して卒業。
1952年に平安高校の国語教師となり、同人誌「児童文学界」に作品を書く。
1954年に岩本敏男らと児童文学同人誌「馬車」を創刊。
乙骨淑子と雑誌「こだま」を通じて交流を持つ。
1958年にいぬいとみこ、佐野美津男、神宮輝夫、古田足日らの「児童文学実験集団」に参加。
1963年より思想の科学研究会にも参加。
今江祥智のすすめで1967年に『戦後児童文学論 「ビルマの竪琴」から「ゴジラ」まで』を出版。
児童文学評論家となる。
奈良佐保女学院短期大学、同志社女子大学教授も務め、児童文化を講じた。
1983年の『ひげよ、さらば』は、チャールズ・ブロンソンの『さら ……
上野瞭さんが亡くなってから、22年と321日が経ちました。(8357日)