斎藤智恵子 氏(さいとうちえこ)
浅草ロック座名誉会長[日本]
2017年 4月28日 死去胃がん享年91歳
斎藤 智恵子(さいとう ちえこ、1926年〈大正15年〉11月11日 - 2017年〈平成29年〉4月28日)は、日本の実業家。
東京都台東区浅草のストリップ劇場であるロック座の元社長、後に会長、名誉会長。
昭和中期に「東 八千代(あずま やちよ)」の芸名で踊り子(ストリップダンサー)として活動した後、経営者に転向し、日本一といわれる劇場チェーンを築き上げた。
その男勝りの性格や様々な武勇伝から「伝説の女傑」「浅草のドン」「浅草のゴッドマザー」とも呼ばれた。
勝新太郎ら数多くの芸能人の支援、ビートたけしとの交友でも知られた。
宮城県白石町(後の白石市)出身。
経歴=
白石町の魚屋に誕生した。
母譲りの男勝りな気性で、幼少時より姉御肌の活発な性格であった。
1943年(昭和18年)に、宮城県白石高等女学校(後の宮城県白石女子高等学校)を卒業した。
翌1944年(昭和19年)に母方の伯母を頼って上京し、洋裁専科である青山学院女子専門部家政科(後の青山学院女子短期大学)へ入学した。
家業の魚の生臭さを嫌ったことに加え、当時は太平洋戦争の最中であり、戦中を生き抜くには手に職をつけるべきとの考えであった。
浅草には大衆演劇や多くの劇場があり、そうした場所で働きたいとの希望もあった。
夏季休暇に帰省した際、旅一座の座長に一目惚れした。
1946年(昭和21年)、母の死で性格が荒れたことや、妊娠したこともあり、青山学院女子専門部を中退した。
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斎藤智恵子さんが亡くなってから、7年と207日が経ちました。(2764日)