高野辰之(たかのたつゆき)
国文学者、作詞家[日本]
1947年 1月25日 死去享年72歳
高野 辰之(たかの たつゆき、1876年〈明治9年〉4月14日 - 1947年〈昭和22年〉1月25日)は、日本の国文学者、作詞家。
文学博士(東京帝国大学・論文博士・1925年)(学位論文「日本歌謡史」)。
号は斑山(はんざん)。
経歴=
1876年、長野県水内郡永江村(現中野市永江)の豪農の家に生まれた。
1887年、豊津学校永江支校小学中等科を卒業。
1890年3月、下水内高等小学校高等小学科を卒業。
1890年5月、永田尋常小学校授業生(代用教員)となった。
しかし3年後の1893年、長野県尋常師範学校に入学。
1897年3月には同師範学校を卒業した。
1897年4月からは下水内高等小学校訓導となった。
1898年6月、国語科の師範学校・尋常中学校・高等女学校教員免許状を取得。
1898年9月に上京。
東京帝国大学の国語研究室で上田萬年に師事、国文学を学んだ。
大学卒業以降の職歴
1900年(明治33年) - 長野県師範学校教諭兼訓導。
国文学史などを教える。
1902年(明治35年) - 文部省国語教科書編纂委員嘱託。
1904年(明治37年) - 文部省属の吏員となる。
1908年(明治41年) - 東京音楽学校邦楽調査嘱託。
1909年(明治42年) - 教科用図書調査委員会第三部起草員職務補助嘱託。
小学校唱歌教科書編纂委員嘱託。
1910年(明治43年) - 東京音楽学校教授。
東京音楽学校邦楽調査掛調査員。
1916年(大正5年) - 文部省図書官。
1917年(大正6年) - 東京音楽学校邦楽調査掛主事。
1923年(大正12年 ……
高野辰之が亡くなってから、77年と301日が経過しました。(28425日)