トゥンク・アブドゥル・ラーマン 氏Tunku Abdul Rahman
政治家、初代首相[マレーシア]
(「マレーシア独立の父」)
1990年 12月6日 死去享年88歳
トゥンク・アブドゥル・ラーマン(Tunku Abdul Rahman Putra Al-Haj ibni Almarhum Sultan Abdul Hamid Shah、1903年2月8日 - 1990年12月6日)は、「マレーシア独立の父」であり、1947年に結成され1957年に独立したマラヤ連邦の初代首相である。
1963年にマラヤ連邦、サバ州、サラワク州、シンガポールが統合してマレーシアとなった際に、初代首相に就任した。
生涯=
生い立ち=
アブドゥル・ラーマンは、第24代クダ王国スルタンであるアブドゥル・ハミド・ハリムの20人の子の第14子である。
クダ州の州都アロースターで生まれている。
6歳のときに初等教育を受け始め、後に現在アロースターにあるアブドゥル・ハミド大学になっている英語学校に進学した。
8歳のときに他の3人の兄弟とともにバンコクに留学している。
1915年帰国し、ペナンで勉学を続けた。
1918年、クダ州の奨学金を取得しケンブリッジ大学聖キャサリン校に留学していた。
1925年学士を取得。
クダ州奨学金取得者の中で初めてイギリスに留学した。
帰国後はクダ州の公務員として働いていた。
その後、再びイギリスへ留学し法学を修学しようとしたが、第二次世界大戦の勃発により1938年にやむなく帰国している。
1947年から再度留学し弁護士の資格を得た。
1949年にイギリスから帰国すると、アロースターにある法律事務所で勤務していたが、その後、クアラルンプールへ異動を依頼している。
この時代は、マラヤ全域でナショナリズムが高揚し ……
トゥンク・アブドゥル・ラーマンさんが亡くなってから、33年と351日が経ちました。(12404日)