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リー・クアンユー 氏Lee Kuan Yew

政治家、初代首相[シンガポール]

(建国の父)

2015年 3月23日 死去享年93歳

リー・クアンユー - ウィキペディアより引用

リー・クアンユー(英語: Lee Kuan Yew, 漢字・中国語: 李光耀、日本語読み:り こうよう、 1923年9月16日(旧暦8月6日) - 2015年3月23日)は、シンガポールの政治家、初代首相。
首相退任後、上級相、内閣顧問を歴任した。
初代首相就任以降、長期にわたり権威主義的政治体制、いわゆる「開発独裁」を体現し、独裁政権下ながらシンガポールの経済的繁栄を実現した。
家族 妻:クワ・ゲオ・チュー(柯玉芝) - Lee & Lee法律事務所元共同運営者(1920年12月21日 - 2010年10月2日) 長男:リー・シェンロン(李顕龍) - 前陸軍准将、3代目首相 妻:ホー・チン - テマセク・ホールディングス元社長 次男:リー・シェンヤン(李顕揚)- シングテル元CEO 妻:Lim Suet Fern(林雪芬) 長女:リー・ウェイリン (Lee Wei Ling) (李瑋玲) - 国立脳神経科学院を運営自叙伝によると、客家系華人の4世にあたるという。

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LeeKuanYew [生]1923.9.16.シンガポール[没]2015.3.23.シンガポールシンガポールの政治家。首相(在任1959~90)。中国語名は李光耀。中国移民の4世。英語を母語として育ち,中国語およびマレー語,タミル語は政界入りしたのち身につけた。第2次世界大戦後,イギリスのケンブリッジ大学に留学して法律を学び,1950年シンガポールに戻ってからは労働組合関係の弁護士として活躍するかたわら,イギリス植民地からの独立運動に身を投じた。1954年人民行動党PAPを創設し書記長となった。1955年新憲法下初の立法評議会選挙で議員となり,イギリス連邦の自治州としての地位獲得交渉で活躍。1959年完全自治獲得後の最初の選挙で大勝し,自治州首相に就任。1963年9月,マレーシア連邦結成時にシンガポールも一つの州として参加したが,1965年8月にマレーシア連邦から分離独立,リーは初代首相に就任した(→マレーシア紛争)。以来国民の支持のもとに党内左派を抑え,非同盟中立政策(→非同盟主義)を掲げ,外資導入による工業化を目指して経済発展に大きな成果を上げ,シンガポールを東南アジアの主要な金融センターに育てた。強権政治との批判も受けたが,同国の近代化と安全の確保に優れた手腕を発揮した。1990年に31年間務めた首相の地位を退いたのち,首相府上級大臣としてゴー・チョクトン首相を補佐。2004年長男リー・シェンロンの首相就任に伴って内閣顧問となった。 (引用元 コトバンク)