ヨハン・フランツ・エンケJohann Franz Encke
天文学者[ドイツ]
1865年 8月26日 死去享年75歳
ヨハン・フランツ・エンケ(独: Johann Franz Encke, 1791年9月23日 - 1865年8月26日)は、ドイツの天文学者である。
エンケ彗星の軌道を求めた業績などで知られる。
生涯=
エンケはドイツのハンブルクに生まれ、ヨハネウム学院に学んだ。
1811年からゲッティンゲン大学でカール・フリードリヒ・ガウスの下で数学と天文学を学んだが、1813年から1814年にかけてのナポレオン戦争のドイツ・フランス戦役ではハンザ都市軍の一員として彼も従軍し、1815年にはプロイセン軍の砲兵隊中尉となった。
1816年にゲッティンゲンに戻るとすぐにゴータ近くのゼーベルク天文台でベルンハルト・フォン・リンデナウの助手に採用された。
この天文台でエンケは1680年に出現した彗星の研究を完成させ、この業績によって1817年に Cotta prize を受賞した。
また彼は1812年に出現した彗星が71年の軌道周期を持つことを正しく示した。
この彗星は今日ではポンス・ブルックス彗星と呼ばれている。
この頃彼は、1818年に発見された3個の彗星のうちの一つが1805年にジャン=ルイ・ポンによって発見された彗星と同じものではないかというポンの示唆を受けて、この彗星の軌道要素の計算を始めた。
当時知られていた周期彗星は全て70年以上の周期を持ち、遠日点が天王星の軌道を大きく超えるものばかりであった。
こうした彗星の中で最も有名なハレー彗星の周期は76年である。
そのため、エンケの計算で得られたポンの彗星の軌道 ……
ヨハン・フランツ・エンケが亡くなってから、159年と86日が経過しました。(58161日)