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イレーヌ・ジョリオ=キュリーIrene Joliot-Curie

原子物理学者[フランス]

1956年 3月17日 死去白血病享年60歳

イレーヌ・ジョリオ=キュリー - ウィキペディアより引用

イレーヌ・ジョリオ=キュリー(Irene Joliot-Curie、1897年9月12日 - 1956年3月17日)は、フランスの原子物理学者。
父はピエール・キュリー、母はマリー・キュリー。
妹はエーヴ・キュリー。
(左から)ピエール、イレーヌ、マリー パリに生まれ、パリ大学でポロニウムのアルファ線に関する研究で学位を取得。
1926年、母マリーの助手だったフレデリック・ジョリオと結婚。
1934年に30Pを合成し、1935年、「人工放射性元素の研究」で、夫フレデリックと共にノーベル化学賞を受賞した。
生涯= 生い立ち= 1897年、父ピエール・キュリー、母マリー・キュリーの長女として、パリで生まれた。
当時、両親は放射性元素の発見に取り組んでいる最中であり、イレーヌが生まれたのは2人がラジウムを発見する前年のことであった。
イレーヌ誕生後、両親は夜になるとイレーヌにつきっきりとなり、マリーは娘の成長を日記につづった。
しかし日中はマリーもピエールも実験で忙しかったため、3人が一緒に過ごす時間は限られた。
そのためイレーヌは、同居していたピエールの父親である医師のウジェーヌ・キュリーと過ごすことが多かった。
幼い頃のイレーヌは、父ピエールを「ペ(Pé)」、母マリーを「メ(Mé)」と呼び、母親に対する独占欲が強かった。
その当時にキュリー家を訪れた知人は、マリーやピエールと話をしていると、イレーヌが、自分のこともかまって欲しいとたびたび主張してきたことを述 ……

イレーヌ・ジョリオ=キュリーが亡くなってから、68年と249日が経過しました。(25086日)