ピエル・パオロ・パゾリーニPier Paolo Pasolini
映画監督、脚本家、劇作家、詩人[イタリア]
1975年 11月2日 死去他殺享年54歳
ピエル・パオロ・パゾリーニ(パソリーニ)(Pier Paolo Pasolini, 1922年3月5日 - 1975年11月2日) は、イタリアの映画監督、脚本家、小説家、詩人、劇作家、評論家、思想家。
特異な作風、後世に与えた影響、そして謎の死など、20世紀の映画史において伝説的な存在である。
生涯=
1922年3月5日、ボローニャで生まれた。
軍人の父カルロ・アルベルト・パゾリーニ(イタリア語版)はベニート・ムッソリーニの命を救ったことで有名なファシストであり、幼少期のパゾリーニは父の軍務により、北イタリアの各地を転々とした。
元教師で芸術家気質だった母スザンナ・パゾリーニ(イタリア語版)の影響を受け、パゾリーニは7歳で詩作を始めた。
その後、1939年にボローニャ大学に入学し、文学を専攻する傍ら映画にも関心を持つようになった。
第二次世界大戦中は母と二人で母の故郷フリウリ地方カザルサで教師として生活し、1942年にフリウリ語の方言で執筆した詩集『カザルサ詩集』を発表。
一方で終戦直前の1945年2月12日、反独パルチザンだった弟グイド・パゾリーニ(イタリア語版)が内部抗争で死亡し、この出来事はパゾリーニに多大な影響を与えたと言われている。
終戦後の1947年に中学校の教師に着任し、同時にイタリア共産党に入党。
しかし、1949年に未成年の青年への淫行の容疑をかけられ、共産党から除名され、教職も追われた。
翌1950年、母とともにローマに移住し、窮乏生活を送りながら ……
ピエル・パオロ・パゾリーニが亡くなってから、49年と20日が経過しました。(17917日)