児島惟謙(こじまいけん)
裁判官[日本]
1908年 7月1日 死去享年72歳

児島 惟謙(こじま これかた / こじま いけん、天保8年2月1日〈1837年3月7日〉- 1908年〈明治41年〉7月1日)は、日本の裁判官・政治家。
後述する大津事件の際には、大審院長として司法権の政治部門からの独立を守り抜き、「護法の神様」などと高く評価された。
後に貴族院議員、衆議院議員、錦鶏間祗候。
幼名は雅次郎、長じて五郎兵衛、あるいは謙蔵とも称した。
「児島惟謙」は後述する脱藩を機に用い始めた仮の名で、児島はこれを終生用いた。
名前は「これかた」「いけん」以外にも、「これかね」などとも呼ばれる。
号は天赦、字は有終。
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が亡くなってから、115年と94日が経過しました。(42098日)