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津田三蔵(つださんぞう)

警察官[日本]

(ロシア皇太子ニコライ2世に斬りかかる(大津事件))

1891年 9月29日 死去急性肺炎享年37歳

津田三蔵 - ウィキペディアより引用

津田 三蔵(つだ さんぞう、安政元年12月29日(1855年2月15日) - 1891年(明治24年)9月30日)は、明治期の日本の陸軍軍人、警察官。
大津事件の際にロシア皇太子ニコライ(ニコライ2世)を切り付けた人物として知られる。
生涯= 大超寺にある津田三蔵の墓 津田氏は、伊勢国 津藩(藤堂家、32万石)に藩医として仕えた家柄で、家禄は130石であった。
父は津田長庵、母はきの。
三蔵は次男で、兄の養順は家出をして行方不明、弟の千代吉は憲兵を経て三吉電気工場の職工となる。
妹が一人おり、町田義純へと嫁いだ。
津田家は江戸下谷柳原(現在の東京都台東区)に居住していたが、三蔵が7~8歳の頃(文久年間)に長庵が刃傷沙汰を起こし、減封処分の上で伊賀上野へ転居、長庵は生涯蟄居の身となった。
明治3年(1870年)に上京、東京鎮台に入営。
明治5年(1872年)3月、陸軍名古屋鎮台に転じた。
翌1873年(明治6年)3月、越前護法大一揆鎮圧のため乃木希典少佐の部下として出動した。
7月、金沢分営に転属。
1877年(明治10年)の西南戦争勃発時は金沢歩兵第7連隊第1大隊附の伍長であった。
3月11日、第7連隊は高島鞆之助率いる別働第一旅団に編入され、3月20日、西郷軍の背面である日奈久(現在の熊本県八代市)に上陸するが、同月26日、左手に銃創を負い熊本の八代繃帯所に入院。
長崎に移され、5月20日に退院後は鹿児島県の本隊に復帰。
6月1日より歩兵第1連隊第1大隊長古川氏潔少佐附書 ……

津田三蔵が亡くなってから、133年と53日が経過しました。(48631日)

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