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北白川祥子 氏(きたしらかわさちこ)

元宮内庁女官長、元皇族[日本]

2015年 1月21日 死去急性肺炎享年100歳

北白川祥子 - ウィキペディアより引用

北白川 祥子(きたしらかわ さちこ、1916年〈大正5年〉8月26日 - 2015年〈平成27年〉1月21日)は、日本の旧皇族、宮内庁女官長。
北白川宮永久王の妃。
旧名は、徳川 祥子(とくがわ さちこ)。
皇族時代の身位は王妃で、皇室典範における敬称は殿下。
生涯= 生い立ち= 永久王との結婚の儀。
五衣はお印に因んだ、紅梅の襲色目。
唐衣は亀甲の地模様の白地に、紅梅色で徳川家の家紋:三つ葉葵が配されている。
男爵徳川義恕と妻・寛子(津軽承昭伯爵令嬢)の二女として誕生した。
姉は幼少期に夭折し、兄妹の唯一の女子として愛情を受けて育った。
長兄の徳川義寛は昭和天皇の侍従長。
次兄の津軽義孝は常陸宮妃華子の父に当たる。
東京女子高等師範学校を卒業後は、花嫁修業をする。
1934年(昭和9年)6月19日、婚約が内定したことが、非公式に発表された。
この際、祥子の人となりは「明朗な典型的近代女性」かつ「お茶の水時代にお伴もつれずにお獨りで毎日電車で通学されたほど平民的な方」と報じられた。
皇族時代= 翌1935年(昭和10年)4月16日の納采の儀及び告期の儀を経て、4月26日、19歳のとき永久王と結婚し、北白川宮妃となる。
夫妻の間には1男1女が生まれた。
永久王は、1940年(昭和15年)3月に駐蒙軍に初出征し、9月4日に薨去(演習中に事故で殉職)、3歳の長男・道久王が北白川宮を継承した。
永久王の殉職は、皇族の「戦死」として大きな反響を呼んだ(本人の ……

北白川祥子さんが亡くなってから、10年と116日が経ちました。(3769日)

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