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曽根中生 氏(そねちゅうせい)

映画監督[日本]

2014年 8月26日 死去肺炎享年78歳

曽根 中生(そね ちゅうせい、1937年10月1日 - 2014年8月26日)は、日本の映画監督、脚本家。
本名:曽根 義忠(よしただ)。
人物・来歴= 群馬県北群馬郡子持村(現在の渋川市)出身。
群馬県立渋川高等学校、東北大学文学部を卒業した1962年、日活に入社。
若松孝二監督の問題作『壁の中の秘事』の脚本を担当して注目を集める。
また脚本家集団具流八郎の中心的メンバーとして、鈴木清順監督の日活最後の作品『殺しの烙印』の脚本を手がける。
その後、監督デビューと時を同じくして日活がロマンポルノ路線に転じたため、多くのロマンポルノ作品を監督することとなった。
1972年11月には監督作『色情姉妹』が上映3日間で打ち切りとなった。
これは警視庁から連絡を受けた映倫が再審査を行ったためで、指示通りにシーンをカットするとストーリーが分からなくなる、音声の再録の手間も生じるなどの事情からお蔵入りとなったものである。
同年には日活ロマンポルノ事件が発生していたこともあり、審査は厳しいものとなっていた。
1976年には人気漫画の実写映画化『嗚呼!!花の応援団』を手がけ、日活の一般映画としては久々の大ヒットを記録。
キネマ旬報ベストテン7位と高評価も獲得して、翌年にかけてのシリーズ化、1978年には『博多っ子純情』松竹映画への外部招聘など曽根自身も大きな注目を集める。
この作もキネマ旬報ベストテン10位であった。
その後もロマンポルノを撮り ……

曽根中生さんが亡くなってから、10年と87日が経ちました。(3740日)

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