周富徳 氏(しゅうとみとく)
料理人[中国]
2014年 4月8日 死去享年72歳
周 富徳(しゅう とみとく、1943年3月11日 - 2014年4月8日)は、広東料理の料理人・実業家。
神奈川県横浜市中区山下町の横浜中華街出身。
愛称は「炎の料理人」。
経歴=
料理人の道へ=
両親は中国広東省出身。
父親も横浜中華街で料理人を営んでいた。
在日中国人二世。
武相高等学校卒。
兄に中華料理店オーナーの周富新、弟に同じく料理人の周富安、周富輝がいる。
また、息子の周志鴻(しこう)も料理人である。
18歳で料理の道に入る。
1961年に東京・新橋「中国飯店」に入社して修行を積み、東京・西新宿の京王プラザホテル「南園」を経て、「聘珍樓」、「赤坂璃宮」で総料理長を歴任。
1993年に「広東名菜富徳」青山店のオーナーとして独立した。
テレビへの出演=
テレビ番組には、「南園」時代からNHK『きょうの料理』に出演していたが、1990年代に入ってからは、テレビ東京系『浅草橋ヤング洋品店』、TBS系『わいど!ウオッチャー』火曜日のコーナー「周富徳の中華指南」、フジテレビ系『たほいや』などの番組への出演でブレイクし、全国区の人気となった。
特に『浅草橋ヤング洋品店』の人気コーナー「中華大戦争」では、弟や譚彦彬(学生時代の同級生)、金萬福らも巻き込んだ。
当時「カメラ目線」と浅草キッドらに突っ込まれていたが、実際はカメラのアップが嫌で睨んでいたのを「カメラ目線」と受け取られたというのが本人の弁である。
さらに、フジテレビ系 ……
周富徳さんが亡くなってから、10年と188日が経ちました。(3841日)