四国五郎 氏(しこくごろう)
画家[日本]
2014年 3月30日 死去脳出血享年91歳
四國 五郎(しこく ごろう、1924年5月11日 - 2014年3月30日)は、広島県広島市出身(生まれは、現・広島県三原市大和町椋梨)の画家・挿絵画家・詩人である。
戦争とシベリア抑留、弟の被爆死を体験して「戦争の記憶」を伝える事を自らの使命と課し、平和のために絵と詩を制作した。
没後、展覧会、出版、テレビ番組などが開催・制作されている。
戸籍上の表記は同じだが、「國」が旧字体のため四国 五郎と表記することもあり、実際に著作によって「四国」「四國」の両方の表記が使われている。
来歴=
広島市内比治山南麓(現在の南区内)に育つ。
『おこりじぞう』の挿絵を描いたことから、自身も被爆者と思われがちだが、太平洋戦争時は出征(1944年に応召し関東軍に入隊)しており日本にいなかったため、直接被爆はしていない。
しかし、約3年間シベリアに抑留され、公の全ての記録はソ連により剥奪されたが、四國は生死を彷徨う体験をしながらも、自分で豆のようなノートを作り、それに克明に記録を取り靴の中に入れて密かに日本に持ち帰った。
帰国後すぐに記録を絵と共に1,000ページ近い絵日記(『わが青春の記録』)として復元し、シベリア抑留の貴重な生の記録となっている。
また、自らの飯盒にシベリアの仲間達の名前を60名近く彫りこみ、その上からペンキを塗り文字を隠し日本に持ち帰った。
シベリアから記録を持ち帰ることはスパイ罪と見なされ、厳しく制限されたが、 ……
四国五郎さんが亡くなってから、10年と236日が経ちました。(3889日)