高橋昭博 氏(たかはしあきひろ)
元広島平和記念資料館長[日本]
2011年 11月2日 死去心不全享年81歳
高橋 昭博(たかはし あきひろ、1931年7月26日 - 2011年11月2日)は、日本の元地方公務員(広島市元職員)、原爆被爆者。
広島平和記念資料館元館長。
被爆体験の証言活動を行っていた。
略歴=
広島県広島市西区出身。
1945年8月6日、旧制広島市立中学校(現・広島市立基町高等学校)2年在学中、爆心地から約1.4キロ離れた中広町の校庭で被爆。
1951年、広島市職員となる。
1956年、広島県被団協の結成に加わる。
1979年4月から1983年3月まで第7代広島平和記念資料館館長を務めた。
1995年3月まで広島平和文化センター事業部長を務め、退職。
2008年、谷本清平和賞 受賞。
2011年4月、心筋梗塞のため入院。
2011年11月2日、心不全のため広島市中区の病院で死去。
80歳没。
著書=
『ヒロシマ、ひとりからの出発』ISBN 9784480050045
『きみはヒロシマを見たか ― 広島原爆資料館』 ISBN 9784140082904
『絵本ヒロシマのおとうさん ― ヒロシマの心を子どもたちに』(絵 四国五郎)ISBN 9784811370941
『ヒバクシャのこころ』汐文社,1984年8月
『ヒロシマ いのちの伝言―被爆者 高橋昭博の50年』ISBN 9784582824100
高橋 昭博氏(たかはし・あきひろ=元広島平和記念資料館長)2日午前7時42分、心不全のため広島市の病院で死去、80歳。同市出身。自宅は同市西区草津梅が台9の3。葬儀は4日午前11時から同市南区大州5の3の22の平安祭典広島東会館で。喪主は妻史絵(ふみえ)さん。 旧制広島市立中学2年の時、爆心地から約1.4キロ離れた校庭で被爆、全身に大やけどを負った。51年に同市職員となり、79年から4年間、広島平和記念資料館(原爆資料館)長を務め、退職後も修学旅行生らに被爆体験の証言を続けた。(2011/11/02-13:46)
高橋昭博さんが亡くなってから、13年と20日が経ちました。(4768日)