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島田廣 氏(しまだひろし)

バレエダンサー[日本]

(日本バレエ協会名誉会長)

2013年 7月25日 死去心不全享年95歳

島田廣 - ウィキペディアより引用

島田 廣(しまだ ひろし、1919年9月27日 - 2013年7月25日)は、日本のバレエダンサー、振付家、バレエ指導者である。
本名・白成珪[1]。
第二次世界大戦前から日本バレエ界で活躍し、日本バレエ協会会長や新国立劇場舞踊部門の初代芸術監督を務めた[2][3]。
1986年に紫綬褒章を受章し、2002年には文化功労者に選ばれている[3][4]。
妻はバレエダンサーで、日本バレエ協会初代会長を務めた服部智恵子(はっとり ちえこ)[5][6]。
経歴= 1919年に京城(現在のソウル特別市)で生まれた[2][7]。
京城でコリアン・クリスチャン・カレッジの英文科に通っていたが、父親の反対を受けて日本に渡り、慶應義塾大学仏文科への編入を試みた[8]。
しかし、親の同意した渡航証明が間に合わなかったために編入試験が受けられず、日本大学芸術科の編入試験を受けて入学した[8]。
在学中にエリアナ・パヴロワの門下に入り、バレエの稽古を始めた[8]。
当時パヴロワは、自邸でもある七里ヶ浜の「パヴロワ館」の他に、日比谷の蚕糸会館でも週に2回バレエの教室を開いていた[8]。
その頃の島田はバレエの道に進む気は全くなく、学生新聞に寄稿したり左翼的な本を読んだりしていたため、当局から睨まれていたという[8]。
稽古を始めた時期に、築地小劇場で長田秀雄の戯曲『大仏開眼』が伊藤道郎の演出によって上映された[8][9]。
この作品は大作だったために沢山のエキストラが必要であり、築地小劇場の研究生でもあ ……

島田廣さんが亡くなってから、11年と342日が経ちました。(4360日)

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