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河竹登志夫 氏(かわたけとしお)

演劇研究家[日本]

2013年 5月6日 死去心不全享年90歳

河竹 登志夫(かわたけ としお、1924年12月7日 - 2013年5月6日)は、日本の演劇学者。
学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1974年)(学位論文「近代日本演劇とハムレット : ハムレット移入史の研究」)。
早稲田大学名誉教授。
1995年勲三等旭日中綬章受章、2000年恩賜賞・日本芸術院賞受賞、2001年文化功労者。
人物= 本名は俊雄。
演劇研究家・河竹繁俊の二男として東京に生まれる。
歌舞伎作者の河竹黙阿弥の曾孫にあたり、祖母(繁俊の養母)の糸女が河竹黙阿弥の娘である。
旧制成城高等学校、東京帝国大学理学部物理学科卒業、早稲田大学第一文学部演劇学科、同大学院を経てハーバード・エンチン研究所客員研究員として招かれた。
1964年、早稲田大学教授を経て、のちに名誉教授。
1974年東京大学より文学博士の学位を取得、学位論文は「近代日本演劇とハムレット : ハムレット移入史の研究」。
1990年、共立女子大学教授。
ウィーン大学、北京日本学研究センターの客員教授。
日本比較文学会会長、放送文化基金理事長、日本演劇学会会長、日本演劇協会会長などを歴任し、公益法人都民劇場理事長を務めた。
物理学の場の概念を応用した「歌舞伎の「場」理論」や、歌舞伎を反古典主義的・バロック主義的な到達点とする「歌舞伎バロック論」で知られ、〈比較演劇学〉の開祖と称される。
また、歌舞伎の海外公演の反響調査も実施した。
1960年の歌舞伎アメリカ公演 ……

河竹登志夫さんが亡くなってから、11年と199日が経ちました。(4217日)

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