秋山庄太郎 氏(あきやましょうたろう)
写真家[日本]
2003年 1月16日 死去心筋梗塞享年84歳
秋山 庄太郎(あきやま しょうたろう、1920年〈大正9年〉6月8日 - 2003年〈平成15年〉1月16日)は、日本の写真家。
1960年
経歴=
中学生の時に好きな女の子ができ、その子の顔をいつも眺めていたかったためにカメラに興味を持ち、パーレットを買ってもらったが、使い方が難しく、ぶつけてタスキを曲げてしまいピントが出なくなってしまった。
その次に入手したのはバルディで、中学の修学旅行にて奈良の若草山でススキが逆光に光るのを撮影し想像以上の良い写真ができたことから写真が面白くなり始めた。
第一早稲田高等学院に入学しカメラクラブに入ったが、他の人が四つ切りに伸ばしているのを見て、それまでキャビネまでしか伸ばしていなかったため競争にならず嫌気がさして酒浸りになり吐血して父親から勘当されそうになったが、ちょうどその頃父親の会社で経理部の社員が会社資金を横領しその社員の持ち物を差し押さえるという事件が起こり、その中に以前から欲しいと思っていたローライコードがあったので父親に頼んで買ってもらった。
このローライコードはトリオターのF3.8つきだったという。
また仲の良い級友がミノルタフレックスで撮影した写真が『写真文化』誌に掲載されたりして刺激を受け本格的に努力するようになった。
女性芸能人、花の写真を数多く手がけた。
生涯の前半45歳頃までは主に女性のポートレイトを撮影していた。
女性を撮影することについて冗談交じりに ……
秋山庄太郎さんが亡くなってから、21年と310日が経ちました。(7980日)