菊池 海荘(きくち かいそう)は幕末紀州の豪商、漢詩人、海防論者。栖原垣内家出身。江戸新和泉町で砂糖問屋河内屋孫左衛門店を経営しながら、大窪詩仏・梁川星巌に漢詩を学び、湯浅古碧吟社で活動した。天保の大飢饉では公共事業を行って窮民を救済し、紀州藩地士に取り立てられ、農兵浦組を編成するなど、国事に関与した。
菊池海荘が亡くなってから、143年と91日が経過しました。(52322日)