金子大栄(かねこだいえい)
真宗大谷派僧侶、仏教思想家[日本]
(旧漢字・大榮)
1976年 10月20日 死去享年96歳
金子 大榮(かねこ だいえい、1881年〈明治14年〉5月3日[1] - 1976年〈昭和51年〉10月20日[1])は、日本の明治~昭和期に活躍した真宗大谷派僧侶、仏教思想家。
前近代における仏教・浄土真宗の伝統的な教学・信仰を、広範な学識と深い自己省察にもとづく信仰とによって受け止め直し、近代思想界・信仰界に開放した。
経歴=
1881年、新潟県高田の真宗大谷派最賢寺に生まれる[1]。
1899年、真宗京都中学(現・大谷高等学校)を卒業[1]。
1901年、京都より東京に移転開校した真宗大学(現・大谷大学)予科に入学[1]、初代学長であった清沢満之の影響を受ける。
1904年、同卒業[1]。
以後、新潟に帰郷し、寺務に従事しつつ処女作『真宗の教義と其の歴史』を執筆[1]。
1911年以後、真宗大学の京都移転に反対して辞職・帰郷していた同郷の曽我量深と親交を深めた[1]。
1915年、上京し清沢満之が創刊した仏教普及誌『精神界』の編集責任者となり[1]、暁烏敏・佐々木月樵に代わり主筆を務めた[1]。
1916年、東洋大学教授となる[1]。
翌年、大谷大学教授に任じられ京都に移るが[1]、1925年、著書『浄土の観念』の内容が異安心とされ、1928年、同大学教授を辞任した[1]。
その後も自説を堅持し、1930年から3年間、広島文理科大学(現・広島大学)専任講師を務めた後[1]、1933年、左京区鹿ケ谷に、教え子である安田理深・松原祐善・山崎俊英らと興法学園を開設した[1]。
1942年、大谷大学教授に復職[1]。
1944年には、 ……
金子大栄が亡くなってから、48年と254日が経過しました。(17786日)