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岡本神草(おかもとしんそう)

日本画家[日本]

1933年 2月13日 死去脳溢血享年40歳

岡本神草 - ウィキペディアより引用

岡本 神草(おかもと しんそう、1894年11月10日 - 1933年2月13日)は、神戸市出身の日本画家。
本名は敏郎。
若くして没したため、充分な活躍はできなかった。
作品はいずれも濃艶な雰囲気の女性像で、成熟した女性の美しさや舞妓の持つ人工的美しさをモティーフに独自の作風をみせている。
菊池契月に師事する。
10代半ばで卓越した技術で花鳥画を制作した後、竹久夢二に魅了されて雑誌などに掲載された絵を模写したり、夢二風の少女の絵などを描いた。
略歴= 「口紅」1918年 1915年(大正4年) - 京都市立美術工芸学校絵画科卒業。
同窓生であった甲斐荘楠音や入江波光、玉村方久斗らと前衛的日本画研究集団「密栗会」の結成に参加。
1918年(大正7年) - 京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸術大学)卒業。
第1回国画創作協会展に「口紅」が入選。
甲斐庄楠音の「横櫛」とともに入賞候補に挙げられる。
このとき、「横櫛」を推した村上華岳と「口紅」を推した土田麦僊とが互いに譲らず、結局、竹内栖鳳の仲裁で金田和郎の「水蜜桃」が受賞する。
1920年(大正9年)‐ 国展に「拳を打てる三人の舞妓の習作」を出品、評価を高める。
「挙を打てる三人の舞妓の習作」1920年  1921年(大正10年) - 第3回帝展に「拳を打てる三人の舞妓」を出品 「拳を打てる三人の舞妓」 1922年(大正11年) - 九名会(福村祥雲堂主催)参加 1928年(昭和3年) - 第9回帝展に「美女遊戯」が入選 1932年(昭和7年 ……

岡本神草が亡くなってから、91年と281日が経過しました。(33519日)