梅原真隆(うめはらしんりゅう)
仏教学者[日本]
1966年 7月7日 死去享年81歳
梅原 真隆(梅原 眞隆、うめはら しんりゅう、1885年〈明治18年〉11月11日 - 1966年〈昭和41年〉7月7日)は、日本の仏教学者。
富山県滑川市寺家町の浄土真宗本願寺派梅原山専長寺27代・29代住職。
龍谷大学教授、本願寺派執行、本願寺派勧学寮頭(5期)、顕真学苑主幹、京都市会議員、参議院議員(1期)、富山大学第3代学長。
経歴=
幼少期=
父・隆乗、母・ヨシイの長男として誕生。
「真隆」という名は父・隆乗が「真宗興隆」の任を果たすような僧侶になるように願って名付けられた。
生家である専長寺は鎌倉時代からの血統を受け継ぐ浄土真宗の寺院。
江戸時代の繁栄当時は広大な境内地や十数間もの巨大な伽藍を擁した寺院であったが、江戸末期から明治初期にかけて町を何度も舐め尽くした大火により類焼を重ね、真隆が生まれた頃は焼け跡に建てられた粗末な仮小屋住まいという貧しい暮らしであった。
明治初期に24世實乗、25世真乗が若くして相次いで早世したため男性継職者不在となり、同組専称寺から父・26世隆乗が幼少の頃から迎えられ、ヨシイ(實乗の子)と結婚。
幼少時代は主に祖母(實乗の妻・水橋照蓮寺出身)のもとで育てられ、真隆の宗教的芽生えのきっかけとなった。
いつも「偉い人にならなくてもよい。
有り難い人になって」と諭されたという。
少年期=
1899年、滑川尋常高等小学校卒業後、富山徳風教校(後の越中仏教中学)を経て、東京の高輪仏教中学(現高輪学 ……
梅原真隆が亡くなってから、58年と137日が経過しました。(21322日)