有本芳水(ありもとほうすい)
詩人、歌人[日本]
1976年 1月21日 死去享年89歳
有本 芳水(ありもと ほうすい、1886年(明治19年)3月3日 - 1976年(昭和51年)1月21日)は、日本の詩人・歌人である。
概要=
本名歓之助、1886年(明治19年)3月3日、兵庫県飾西郡津田村(現・姫路市)に生まれる。
岡山市の関西中学校に入学。
在学中から詩作をし、同人雑誌「白虹」に参加する。
上京し、早稲田大学高等師範部を卒業後、実業之日本社に入り、「日本少年」主筆として活躍した。
1905年に車前草社に入り、若山牧水、正富汪洋らと作歌。
薄田泣菫、与謝野鉄幹、晶子らの先進を敬慕しつつ、「日本少年」に毎号発表した少年詩は少年の読者に愛誦され、文学者に多くの影響を与えた。
1913年(大正2年)4月、岡山県上道郡浮田村北方の井尻龍五郎・林夫妻の長女、清子と結婚。
龍五郎は1911年(明治44年)に吉備商業学校(現・岡山商科大学附属高等学校)を創設するなど、岡山県の教育界に貢献した人である。
「日本少年」第14巻第8号を最後に、芳水は「実業之日本」の編集に従事することになった。
「日本少年」を退いてもその誌上へは作品をたびたび載せていたが、多忙のため詩作からは全く遠ざかり、「実業之日本」編集長、同社取締役を経て1941年(昭和16年)退社した。
『芳水詩集』、『旅人』、『ふる郷』、『悲しき笛』など、実業之日本社より出版。
『芳水詩集』は、竹久夢二の装幀挿画であり、仕事を通じて友情が長く続いた。
岡山へ帰住後は、岡山の短大、大学 ……
有本芳水が亡くなってから、48年と305日が経過しました。(17837日)