麻生三郎 氏(あそうさぶろう)
洋画家[日本]
2000年 4月5日 死去享年87歳
麻生 三郎(あそう さぶろう、1913年(大正2年)3月23日 - 2000年(平成12年)4月5日 )は、東京都生まれの洋画家である。
武蔵野美術大学名誉教授。
戦中戦後を通して焼けただれ、焦げ付いたような暗褐色に彩られた家族を中心とした人物像や自己の内面を解体デフォルメし、闇の中から浮かび上がるように描き出す作風で知られる。
彫刻家の麻生マユは実娘。
経歴=
生い立ち=
1913年(大正2年)3月23日、東京市京橋区本湊町(現在の東京都中央区湊)に麻生惣兵衛、喜代の三男(3男3女の4番目)として生まれる。
麻生家は100年以上の歴史をもつ炭問屋、屋号は「山惣」。
実家は当時築地の居留区があった明石町にほど近く、洋館が立ち並ぶその場所に麻生は毎日通い、お小遣いでラスクやレーズンなどを買っていた。
このような、下町でありながらモダンな雰囲気に影響され洋画を志したと述べている。
1919年(大正8年)4月、京橋区鉄炮洲尋常小学校に入学する。
1923年9月1日、関東大震災が発生し鉄炮洲一帯で火災が発生する。
家族や従業員は無事だったものの、麻生家は焼失する。
家族で東京府荏原郡大崎の親戚の高橋家に身を寄せる。
麻生は第三日野尋常小学校に通った。
父は荏原に所有していた土地に母家と貸家を建て、家族は引っ越したが、麻生は高橋家の次男良之助に可愛がられていたこともあり、週末以外は高橋家に預けられた。
1925年3月、第三日野尋常小学校を卒業する ……
麻生三郎さんが亡くなってから、24年と230日が経ちました。(8996日)