福沢一郎 氏(ふくざわいちろう)
洋画家[日本]
1992年 10月16日 死去享年95歳

福沢 一郎(ふくざわ いちろう、1898年(明治31年)1月18日 - 1992年(平成4年)10月16日)は、日本の洋画家。
日本にシュルレアリスムを紹介した画家として知られる。
文化功労者、文化勲章受章、群馬県名誉県民。
来歴=
だるまの詩(高崎駅西口)
1898年(明治31年)1月18日、群馬県北甘楽郡富岡町(現富岡市)に生まれる。
祖父・常五郎は繭商人として組合製糸・甘楽社を設立し成功を収めた人物で、富岡町長や県会議員を務めた。
常五郎の長男・仁太郎は衆議院議員・宮口二郎の姪・ハツと結婚し、夫婦の最初の子として生まれたのが一郎である。
仁太郎も後に富岡町長を務めた。
一郎は1910年に富岡尋常高等小学校を卒業後、旧制富岡中学校に入学し1915年に卒業。
同年第二高等学校英法科に入学、のちに登張竹風の授業に影響を受けたことを回想している。
1917年に祖父・常五郎が死去し、自身は学校をやめることを望んだが母の強い説得により、1918年東京帝国大学文学部に入学。
しかし大学の講義に興味なく、彫刻家朝倉文夫に入門し、彫刻家を志す。
木内克などの兄弟子に指導を受け、1921年10月にバンドラ社彫刻展に「椅子」「死んだ鼠」を出品しているのが彫刻家デビューとみられる。
1922年、第4回帝展に彫刻作品「酔漢」が初入選。
1923年の関東大震災を機に渡欧を決意し、1924年から1931年にかけてパリに遊学。
パリでは朝倉塾で知り合っていた佐伯祐三の出迎えを受けた。
1924年 ……
福沢一郎さんが亡くなってから、32年と213日が経ちました。(11901日)