碓井静照 氏(うすいしずてる)
医師、作家[日本]
(広島県医師会長、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)日本支部長)
2012年 5月9日 死去食道がん享年76歳
碓井 静照(うすい しずてる、1937年〈昭和12年〉5月29日[1] - 2012年〈平成24年〉5月9日)は、日本の医師および作家。
碓井内科胃腸科医院長[1]。
広島県医師会会長[2]。
広島市医師会会長[3]。
経歴=
広島県広島市出身。
生家は浄土真宗本願寺派、十方山光明寺。
1945年8月6日、静照は8歳の時に広島市への原子爆弾投下により自宅付近で被爆[2]。
修道高等学校卒業(第8回)。
1968年3月、広島大学大学院医学研究科(第一内科)を卒業。
広島大学医学部第一内科助手講師を経て広島赤十字病院内科勤務[1]。
1970年、内科副部長[1]。
1974年、碓井内科胃腸科医院開業、院長[1]。
1998年から2004年まで広島市医師会会長を務めた。
2004年から2012年まで広島県医師会会長を務めた[4]。
日本医師会元理事。
日本赤十字社理事。
IPPNW(核戦争防止国際医師会議)日本支部長[5]。
広島日伯協会元会長などを歴任した。
2008年8月、広島市における加藤友三郎像の再建に際しては「銅像復元委員会会長」として尽力した[6]。
2012年5月9日、食道がんのため逝去[2][7]。
74歳没。
同年、第24回谷本清平和賞を没後受賞。
人物=
作家としても活動し、日本ペンクラブ会員。
広島ペンクラブ元代表でもあった。
九条の会アピールを支持した[8]。
趣味は写真[1]。
住所は広島市東区牛田本町4丁目[1]。
家族・親族=
碓井家
父・松濤(広島光明学園理事長、浄土真宗本願寺派、十方山 光明寺開基住職)- 1 ……
碓井静照さんが亡くなってから、13年と54日が経ちました。(4802日)