藤原忻子(ふじわらのきんし)
後白河天皇の中宮[日本]
(承元3年8月12日没)
(ユリウス暦) 1209年 9月12日 死去享年76歳
藤原 忻子(ふじわら の よしこ / きんし)は平安時代末期の后妃。
第77代後白河天皇中宮。
父は徳大寺公能で、母は藤原豪子。
妹に近衛天皇皇后(のち二条天皇后)多子がいる。
久寿2年(1155年)に入内し、後白河天皇即位と共に従四位上女御となる。
保元元年(1156年)、中宮に冊立。
保元3年(1158年)、後白河天皇譲位。
平治元年(1159年)、姝子内親王が二条天皇中宮に立后したのに伴い皇后宮。
承安2年(1172年)、平徳子が高倉天皇中宮に立后したのに伴い皇太后。
承元3年(1209年)、76歳で崩御。
『今鏡』は美貌であったと伝えるが、後白河天皇の寵愛は薄かった。