左右田一平 氏(そうだいっぺい)
俳優[日本]
2012年 2月10日 死去S状結腸がん享年83歳

左右田 一平(そうだ いっぺい、1930年7月10日[3] - 2012年2月10日[1][2])は、日本の俳優。
北海道札幌市出身[1][2]。
血液型はA型。
本名は廣田 信夫(ひろた のぶお)[1]。
劇団中芸[3]、東京芸術座[3]、東京俳優生活協同組合を経て[3]、最終所属はたむらプロ。
舞台芸術学院卒業[3]。
来歴・人物=
高校卒業後に兄を頼って上京。
1955年に劇団中芸入団[3]。
1959年に東京芸術座が誕生すると団員の一人となる[3]。
東京芸術座の舞台やテレビ、映画で活躍した。
1979年に京都市民映画祭でテレビ部門男優賞を受賞。
結束信二作品の常連的存在で、『忍びの者』から『燃えよ剣』までの全ての作品に出演していた。
特にテレビ時代劇『用心棒』シリーズは、左右田のみ同じ品田万平役でシリーズ4作全て出演した。
2012年2月10日14時10分、S状結腸がんの為、東京都の病院で死去[1][2]。
81歳没。
エピソード=
芸名の由来は、酒好きだった彼が「そうだ、一杯やろう」から考案したものである[1]。
初め、東映京都撮影所に行ったときに監督の河野寿一から電気工事人と間違えられている。
参考資料=
黒須洋子「キャスト・インタビュー 左右田一平」『テレビ映画「新選組血風録」の世界』新人物往来社、2000年。
左右田一平さんが亡くなってから、13年と142日が経ちました。(4890日)