波多野勤子(はたのいそこ)
心理学者[日本]
1978年 9月15日 死去享年74歳
波多野 勤子(はたの いそこ、1905年12月26日 - 1978年9月15日)は、日本の心理学者。
東京出身。
父は畠山健。
略歴=
1927年(昭和2年)日本女子大学英文学部を卒業、女子経済専門学校の英語教師となる。
1928年(昭和3年)日本女子大学児童研究所の開設で所員になる。
1930年(昭和5年)波多野完治と結婚。
1936年(昭和11年)東京文理科大学心理学科選科を卒業。
1937年(昭和12年)日本女子大学児童研究所を辞して東京文理科大学教育相談員兼心理学科副手となる。
1948年(昭和23年)日本大学の大学院に入学する一方、恩賜財団愛育会愛育研究所教育部員となる(1957年まで)。
1950年(昭和25年)に出版した『少年期―母と子の四年間の記録』がベストセラーとなり、脚光を浴びる。
1953年(昭和28年)東洋大学助教授。
1956年(昭和31年)日本大学文学博士。
1960年(昭和35年)日本児童研究所を創設、所長に就任。
1963年(昭和38年)国立音楽大学大学教授(1971年まで)。
同年、財団法人母親乃学園を創設して理事長になる(1966年に「波多野ファミリースクール」と改称)。
1964年(昭和39年)社会福祉法人日本家庭福祉協会を設立して理事長となる。
1966年(昭和41年)、文学博士の学位を取得(女性としては3人目、心理学専攻では日本初)。
1978年(昭和53年)9月15日 、癌性腹膜炎で逝去。
享年72。
人物=
1967年に森田たまに伴われた波多野の訪問を受けた佐藤栄作首相は、「立派な夫 ……
波多野勤子が亡くなってから、46年と48日が経過しました。(16850日)