小笠原猛 氏(おがさわらたけし)
テレビ演出家[日本]
2011年 12月26日 死去急性心不全享年71歳
小笠原 猛(おがさわら たけし、1941年8月18日 - 2011年12月26日)は、主に特撮テレビドラマ作品を手掛けた日本の映画監督・演出家。
東京都港区出身。
経歴=
父親は東映のプロデューサーの小笠原久豊。
その関係からか映画監督を志し、日本大学藝術学部入学。
しかし、1961年に中退し、NET(現・テレビ朝日)に契約社員として入社。
その後1962年に東映テレビ・プロダクションに移籍。
以後『ザ・ボディガード』、『特別機動捜査隊』、『特捜最前線』、『鉄道公安官』などの一般ドラマや『快傑ズバット』、『忍者キャプター』などのキャラクターものの東映テレビプロ制作の作品で助監督を務める。
特に村山三男、田中秀夫、奥中惇夫らに師事していた。
1981年『それゆけ!レッドビッキーズ』46話で監督デビュー。
その後、1982年から始まる『宇宙刑事ギャバン』をはじめとするメタルヒーローシリーズで監督として頭角を現す。
1984年の『星雲仮面マシンマン』では初のパイロット&メイン監督を務め上げた。
以降、東映・吉川進プロデューサー制作番組にはほぼ全てに携わる番頭的存在となり、独特な演出で活躍。
1992年よりスーパー戦隊シリーズに移動。
『恐竜戦隊ジュウレンジャー』以降の戦隊シリーズ4作品で計50本を担当。
そして『超力戦隊オーレンジャー』を最後に東映テレビプロとの契約を解除され、同社を退社。
これに関しては彼の後盾だった吉川進プロデューサーの定年 ……
小笠原猛さんが亡くなってから、12年と331日が経ちました。(4714日)