奥中惇夫 氏(おくなかあつお)
テレビ・映画監督[日本]
2012年 2月17日 死去心不全享年83歳
奥中 惇夫(おくなか あつを、1930年9月28日 - 2012年2月17日)は、日本の映画監督。
奈良県奈良市出身。
来歴=
東京大学文学部美学美術史学科卒業。
1953年に新東宝に助監督として入社。
渡辺邦男に師事した後、1961年に東映東京撮影所の助監督契約をする。
1963年に東映テレビプロに移籍。
1964年の『鉄道公安36号』で監督デビュー。
『特別機動捜査隊』などを演出したのち、1967年よりフリーとなる。
1969年、自ら希望して『柔道一直線』に途中参加、最終的に40話分を監督した。
『仮面ライダー』への参加以後、キャラクター作品を中心に活躍した。
1972年、日本映画監督協会理事に就任。
1986年、新東宝の助監督仲間だった青野暉の紹介で第二院クラブに参加し、第14回参議院議員通常選挙に立候補した。
晩年は、自動車事故により長期の療養生活を行っていた。
2012年2月17日午前0時20分、埼玉県和光市の病院で心不全のため死去、81歳。
人物・エピソード=
俳優の中庸助は旧制中学時代の同級生である。
東映プロデューサーの平山亨は大学時代の同級生であったが、在学時は面識はなく奥中が東映作品に参加してから知り合った。
旧制中学3年生の時に柔道部主将を務めていた。
映画・テレビドラマ監督として富田常雄原作作品を多く手掛けているが、この頃にも富田の小説『姿三四郎』を愛読して技の真似をしていたという。
『柔道一直線』は作品を観てスタッフが柔道のことを知 ……
奥中 惇夫氏(おくなか・あつを=テレビ映画監督)17日午前0時20分、心不全のため埼玉県内の病院で死去、81歳。奈良市出身。葬儀は23日午前10時30分から埼玉県新座市野火止7の3の32の東上セレモニーホール新座で。喪主は長男真(まこと)氏。 映画同様にフィルムで撮影するテレビ映画に携わり、「柔道一直線」「刑事くん」「がんばれ!レッドビッキーズ」など子ども向け作品を多く手掛けた。
奥中惇夫さんが亡くなってから、12年と278日が経ちました。(4661日)