生恵幸子 氏(いくえさちこ)
漫才師、元 人生幸朗・生恵幸子[日本]
2007年 2月5日 死去脳出血後遺症享年85歳
人生 幸朗・生恵 幸子(じんせい こうろう・いくえ さちこ)は、日本の夫婦漫才コンビ。
昭和後期(戦後)に大阪を拠点に活動した。
夫の幸朗が歌謡曲や世相などにとんちんかんな難癖をつけ、「責任者出てこい!」の決めゼリフを吐く「ぼやき漫才」で、テレビ・ラジオを通じ、関西のみならず全国的に認知された。
コンビ略歴=
それぞれのメンバーが別のコンビで活動したのち、1954年に結成。
1963年以降吉本興業に所属し、同社の劇場を拠点とした。
寄席出演のかたわら、草創期の在阪民放テレビ局の演芸番組に頻繁に出演するようになる。
当初は都家文雄直伝の社会・世相・時事を扱ったぼやきに徹したが、2人は漫才作家の用意した台本を覚えるのが早くても15日はかかったため、ネタが古臭くなるのを避けて、流行歌にぼやくスタイルに変わったという。
幸子が病気療養中の1973年ごろ、幸朗がKTVの深夜番組『ナイトパンチ』にピンでレギュラー出演。
これを機に若者層に認知され、幸子復帰後のコンビが全世代的に浸透する。
1978年、「関西大衆芸術家友好訪中団」の一員として中国で口演。
1982年の幸朗の急死直前まで活動した。
1980年には澤田隆治の企画により東京の国立劇場演芸場に出演し、関東でも評価された。
各地の刑務所をノーギャラで慰問することをライフワークとした。
慰問活動の期間は1953年頃から27年間におよび、法務大臣賞を受賞するに至った。
受賞歴=
1974年 ……
生恵幸子さんが亡くなってから、17年と290日が経ちました。(6499日)