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加瀬昌男 氏(かせまさお)

草思社 創業者[日本]

2011年 8月29日 死去膵臓がん享年81歳

加瀬 昌男(かせ まさお、1931年9月25日 - 2011年8月29日)は、神奈川県出身の実業家。
草思社創業者。
人物= 横浜市にて洋服店経営者の息子として生まれる。
1945年5月29日、中学2年生のとき、空襲で実家を失う。
早稲田大学文学部演劇科の同期に中村八大や宇津井健、一級上には和田勉がいた。
1950年、レッドパージに絡むイールズ事件で警視庁渋谷署に逮捕・勾留され、在学1年目にして大学を除籍となるも、のち復学を許され、1年遅れで大学を卒業。
卒業時「早稲田演劇」誌に一幕物の戯曲を応募して入選。
卒業後日産自動車に入社し、工員などの職3年間ほど転々とする。
この間、「早稲田演劇」誌に二幕物の戯曲を応募して再び入選。
加瀬は日産自動車入社後、日産自動車内で本来第一組合であった全日本自動車産業労働組合(全自動車)日産分会に所属。
日産争議時に会社側が全自動車日産分会を潰すべく第二組合として結成された日産自動車労働組合(塩路一郎)へ労働組合としてのありかたを批判した論文を機関紙に掲載したが、日産分会(全自動車)への切り崩し工作を目の当たりにして焦燥を感じ、結果的に日産自動車を退社する。
1958年、「現代詩」誌の編集者となる。
1960年、自作の脚本による「不発弾」が劇団青俳で上演される。
1961年、友人の世話でヤマハのPR誌「ヤマハニュース」の編集長となる。
1964年、現代演劇作家批評家集団「鴉の会」の結成に参加(他メンバーは ……

加瀬 昌男氏(かせ・まさお=草思社創業者、顧問)8月29日午前3時20分、すい臓がんのため東京都中野区の病院で死去、79歳。横浜市出身。葬儀は近親者で行った。喪主は長男素市(もといち)氏。後日お別れの会を開く。 早大卒業後、雑誌「現代詩」編集者を経て68年に草思社を設立。社長、会長を歴任した。(2011/09/05-14:16)

加瀬昌男さんが亡くなってから、13年と85日が経ちました。(4833日)