永瀬隆 氏
大日本帝国陸軍通訳[日本]
(泰緬鉄道の建設に関わる)
2011年 6月21日 死去享年93歳
永瀬 隆(ながせ たかし、1918年2月20日 - 2011年6月21日)は、日本の英語教師、社会活動家、元陸軍通訳。
経歴=
岡山県都窪郡福田村(現:岡山県岡山市南区福田地域)生まれ。
1941年青山学院文学部英語科を卒業。
同年12月、英語通訳として陸軍省に入省する。
1943年、婚約者を置いてタイに赴き泰緬鉄道の建設にあたり、『建設作戦要員』として通訳に従事する。
6万2千人ちかくのうち約1万3千人が死んだといわれる連合軍捕虜(en:Far East prisoners of war)虐待(泰緬鉄道建設捕虜虐待事件)の現場に出くわし、戦後において、この一件についての証言活動に至る。
1945年9月、イギリス軍の墓地捜索隊の通訳となる。
1946年7月、日本に帰国。
帰国時にタイの人々から、物資不足にもかかわらず日本兵に対して飯盒一杯分の米と中皿一皿分のザラメが支給された。
のちの永瀬のタイにおける社会活動は、この恩に報いるためでもあったとされる。
復員が遅れたため、婚約者は別の男性と結婚してしまい、結果として別れる事となった。
その後は千葉県で公立高校の教員(地方公務員)となり、千葉県立佐原女子高等学校などに勤務。
1953年に同校を退職し、帰郷。
1955年から岡山県倉敷市で英語塾『青山英語学院』を経営する。
1962年に藤原佳子と結婚する。
1964年より毎年タイを訪問し、泰緬鉄道建設に駆り出されて病死などで死亡した連合国兵士およびアジア人兵士労働者への慰霊活動を始める。 ……
永瀬隆さんが亡くなってから、13年と154日が経ちました。(4902日)