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エレーナ・ボンネル 氏Yelena Bonner

人権活動家[ロシア]

(故アンドレイ・サハロフ博士の妻)

2011年 6月18日 死去享年89歳

エレーナ・ボンネル - ウィキペディアより引用

エレーナ・ゲオルギエヴナ・ボンネル(ロシア語: Еле́на Гео́ргиевна Бо́ннер、1923年2月15日 - 2011年6月18日)は、ソビエト連邦およびロシアの人権活動家。
アンドレイ・サハロフの妻。
略歴= 1923年2月15日、トルクメニスタンのメルヴに生まれる。
継父ゲヴォルク・アリハニャンはアルメニア共産党中央委員会責任書記およびコミンテルン執行委員、母ルフィ・ボンネルはシベリア生まれのユダヤ人で、実父はアルメニア人であった。
父ゲヴォルクは、1937年5月ヨシフ・スターリンの大粛清によって逮捕され、翌1938年に処刑された。
母ルフィは二人の子供を連れて母親のいるレニングラードに移るが、逮捕され8年間の重労働を課せられた。
エレーナは、レニングラードの高校卒業後、第二次世界大戦で看護婦に志願し従軍、この間二度に渡って負傷する。
1945年中尉で除隊する。
戦後、第一レニングラード医大(医学専門学校)に入学し、卒業後、小児科の学位を得る。
以後、小児科医、地域医療、執筆活動などに取り組む。
医大の同級生と最初の結婚をし、一男一女を儲けるが1965年に離婚した。
エレーナがサハロフと知り合ったのは、1970年10月のことである。
既にサハロフは、1960年代から人権活動を展開しており、サハロフに影響されたエレーナは、1971年ソ連共産党を離党した。
翌1972年1月にサハロフと結婚する。
以後、エレーナは、サハロフの伴侶として活動する。
1975年 ……

エレーナ・ボンネルさんが亡くなってから、13年と157日が経ちました。(4905日)