藤平光一 氏
心身統一合気道宗主[日本]
2011年 5月19日 死去肺炎享年91歳
藤平 光一(とうへい こういち、1920年1月20日 - 2011年5月19日)は、東京生まれ栃木県出身の日本の武道(合気道)家。
心身統一合氣道の創始者。
1969年(昭和44年)合氣道10段。
現一般社団法人心身統一合氣道会会長の藤平信一は息子。
略歴=
幼少の頃は体が弱く、父親から柔道を教わった。
慶應義塾大学に入学後、肋膜炎を発症し山岡鉄舟の高弟小倉鉄樹などから禅や呼吸法を学び修行した結果、肋膜炎が完治した。
19歳のときに合気道の開祖植芝盛平に入門する。
慶應義塾大学経済学部卒業後、陸軍に入隊。
中国へ派遣されたときの体験が「氣の原理」に大きく影響を与えた。
帰国後、中村天風に師事し、心身統一道を学ぶ。
その後ハワイを始め、アメリカ各地で合気道を指導した。
1969年(昭和44年)、植芝盛平が亡くなる3ヶ月前に、公式に最高段位である10段を許される。
藤平は合気道で存命中に10段位を許された唯一の人物である。
当初は(財)合気会の師範部長を務めていたが、二代道主植芝吉祥丸の指示でハワイ、アメリカ本土の諸道場から藤平の写真が取り外されるという事件が起こった。
これを機に合気会から独立。
1971年(昭和46年)、氣の研究会を創設、1974年(昭和49年)に心身統一合氣道会を立ち上げた。
1977年(昭和52年)に、厚生省(当時)から国民の健康に寄与することを目的とした財団法人を認可され、「財団法人氣の研究会」となる。
1990年(平成2年)に「 ……
藤平光一さんが亡くなってから、13年と187日が経ちました。(4935日)