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橘小夢(たちばなさゆめ)

画家[日本]

1970年 10月6日 死去享年79歳

橘 小夢(たちばな さゆめ、明治25年(1892年)10月12日 - 昭和45年(1970年)10月6日)は、日本の大正から昭和初期に活躍した画家、イラストレーター、版画家。
本名は加藤凞(ひろし)。
背景を綿密描き込んだ妖美で退廃的な女性を描いて「日本のビアズリー」と呼ばれた。
生涯[編集] 誕生から明治末まで ─幼少期から画学生時代[編集] 秋田県秋田市西根小屋町で、加藤則幹とキヱ(のち喜恵)の長男として生まれる。
加藤家は元々水戸に住んでいたが、佐竹氏の秋田転封に伴って秋田に移ったとされ、高祖父、曽祖父、祖父らは、代々佐竹氏の一門として横手を治める戸村氏の家人だった。
父・則幹は漢学者で、『秋田魁新報』創設時の発行兼印刷人の一人に名を連ね、会計としても活躍した。
小夢は先天性心臓弁膜症のため病弱で、生涯にわたって常に病が付きまとうことになる。
また、6歳の時に妹の出産時に母が亡くなり、ほどなく生まれたばかりの妹も死去している。
これがきっかけとなり、小夢と弟・醇は父が跡取りとなるはずだった仙北郡六郷町の諏訪神社(現在の美郷町の秋田諏訪宮)に預けられた。
神社での生活は6歳から10歳までの4年間で、姉ツナが養女となって暮らしていた。
明治41年(1908年)旧制中学校卒業後、上京し白馬会研究会で黒田清輝に洋画を学ぶ。
3年後には川端画学校で川端玉章に日本画を学び、同校出版の冊子『天眞』に短歌や小説を寄稿した。
この頃は、将 ……

関連作品

橘小夢が亡くなってから、53年と295日が経過しました。(19653日)