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網干善教 氏(あぼしよしのり)

考古学者[日本]

2006年 7月29日 死去胆管がん享年78歳

網干 善教(あぼし よしのり、1927年9月29日 - 2006年7月29日)は、日本の考古学者、関西大学名誉教授。
専門は考古学、古代史、仏教史。
文学博士(関西大学・論文博士・1979年)。
奈良県高市郡飛鳥村(現・明日香村)生まれ。
明日香村名誉村民。
略歴= 父の網干順三は梶井基次郎と同年生まれの異母弟で、安田運搬所(安田財閥系の軍事運送会社)勤務の祖父宗次郎と網干出身の芸者磯村ふくの子。
順三は梶井家とともに育ち、株屋の奉公、宗次郎が開いた玉突き屋の店主、乾物屋の経営を手掛けたがいずれも長続きせず、23歳の1924年(大正13年)9月、奈良県磯城郡桜井町(現・桜井市)の浄土宗大願寺の徒弟となり、その後宇陀に住むマサヱと結婚し、1927年(昭和2年)9月29日に長男の善教が生まれた。
善教が3歳のとき、父の順三が唯称寺の住職・順誠となり、一家で移り住む。
唯称寺は石舞台古墳のすぐ下にある浄土宗の寺で、1933年(昭和8年)から始まった第一次石舞台発掘調査に接して考古学に関心を持つようになる。
旧制畝傍中学校(現、奈良県立畝傍高等学校)時代より、京都帝国大学考古学研究員であった末永雅雄(橿原考古学研究所初代所長、関西大学名誉教授、文化功労者、文化勲章受章者)が陣頭指揮を執る石舞台古墳の発掘調査に参加するなど、考古学に傾倒し、橿原考古学研究所に通いつめ、末永の薫陶を受ける。
中学校を卒業後、佛教専門学校(現、佛教大学)に学び、末 ……

網干善教さんが亡くなってから、18年と115日が経ちました。(6690日)

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