劉備(りゅうび)
蜀 初代皇帝[蜀]
(章武3年4月24日没)
(ユリウス暦) 0223年 6月10日 死去享年63歳
劉 備(りゅう び、延熹4年(161年) - 章武3年4月24日(223年6月10日))は、後漢末期から三国時代の武将、蜀漢の初代皇帝。
字は玄徳(げんとく)。
黄巾の乱の鎮圧で功績を挙げ、献帝や曹操に仕え、各地を転戦した。
曹操の下から離れた後は諸葛亮の天下三分の計に基づいて益州の地を得て勢力を築き、後漢の滅亡を受けて皇帝に即位して、蜀漢を建国した。
その後の蜀、魏、呉による三国鼎立の時代を生じさせた。
明代の小説『三国志演義』では中心人物として登場する。
生涯=
成都武侯祠の劉備像
出自=
涿郡涿県(現在の河北省保定市涿州市)楼桑里の出身。
祖父は劉雄、父は劉弘である。
祖父は孝廉に推され、郎中となり、最終的には兗州東郡范県の令となった。
父も州郡の官吏を勤めたが、劉備がまだ幼い頃に死んだために土豪(現地の小豪族)の身分でありながら劉備の家は没落して貧しくなり、母と共に筵を織って生計を立てていた。
幼い時に、家の前に生えている大きな桑の木を見て少年だった劉備は「大きくなったら天子の乗っている馬車に乗るんだ」と言った(天子の馬車は桑の木で出来ている)。
その際、叔父の劉子敬(劉弘の弟)が劉備の口を塞ぎ「滅多な事を言うでない、そのような事を口に出すだけで、我が一族は皆殺しの刑に遭うぞ」と叱責したという。
また、涿郡の人李定は劉備の生家を見て「この家から貴人が出るだろう」と述べた。
敦煌文書によれば、 ……