石上玄一郎 氏(いしがみげんいちろう)
作家[日本]
2009年 10月5日 死去急性心不全享年100歳
石上 玄一郎(いしがみ げんいちろう、1910年3月27日 - 2009年10月5日)は日本の小説家。
姓は「いそのかみ」と読まれていた時期もあるが、1981年頃から「いしがみ」と訂正した。
郷里東北の風土を背景に、現象学や仏教思想などの影響を受けた独自の実存主義的作風を展開した。
人物=
北海道札幌市生まれ。
本名、上田重彦。
父上田寅次郎は岩手県盛岡市出身。
上田家は南部藩士で、代々御蔵奉行などを勤めていたが、維新後没落。
寅次郎の母・綱は寅次郎ら幼い子供を連れて、実弟の栃内元吉(当時屯田司令官幕僚)・曽次郎(後に海軍大将)が住む札幌に移り住む。
寅次郎は長じて札幌農学校・東京専門学校に学び、岩手県・北海道で中学教師の傍ら、新聞に読み物を書いていた。
母・光子は札幌市の生まれで、母方の祖父は元長崎通詞、祖母は会津藩玄武隊隊員の娘であった。
3歳で母と、5歳で父と死別。
有島武郎の親友だった父・寅次郎(有島が札幌農学校で寅次郎の1年先輩だったことに加え、有島の母と寅次郎の母・綱がともに南部藩出身で旧知の間柄だった縁もある)は、有島の『小さき者へ』ではU氏として、『死と其前後』では下田という名前で登場している。
その父は、1915年、死の床で重彦を有島に引会わせ、息子を将来小説家にしたいからと後事を托していた。
1916年、妹と共に父の郷里の岩手県盛岡市へ移住。
祖母・綱に育てられ、大きな影響を受ける。
1923年、岩手 ……
石上玄一郎さんが亡くなってから、15年と47日が経ちました。(5526日)