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石井朝夫 氏(いしいともお)

元プロゴルファー[日本]

2022年 1月24日 死去老衰享年100歳

石井 朝夫(いしい ともお、1923年6月9日 - 2022年1月24日)は、静岡県田方郡対島村富戸(現・伊東市富戸)出身のプロゴルファー。
経歴・人物[編集] 川奈ホテルGCでキャディのアルバイトをしていた1939年に川奈で開催された日本プロで戸田藤一郎と宮本留吉の決勝を見て、プロゴルファーを目指す。
15歳でゴルフを始めるが、17歳で徴兵令を受け、海軍の工場で魚雷の深度器を作っていた。
21歳で本格的な徴兵を受け、陸軍の施設に行き、戦車を修理する兵官として働いた。
母一人の家庭を助けるために川奈でキャディをしながら、プロになったが、徴兵された際に「職業は?」と聞かれ、敵国のスポーツを職業とは言えずに黙っていたら殴られた。
復員後は川奈ホテルGCに戻ったものの再雇用されず、路頭に迷った。
新橋でゴルフショップを経営していた松島杲三に泣きつき、ショップの屋根裏に住まわせてもらい、食住の安定感を保ちながらプロゴルファーとして上を目指した。
30歳になった1953年に読売プロで初優勝を飾る。
優勝賞金は30万円、2位が20万円で“ワンパット10万円のスリル”というキャッチフレーズが話題になったが、第1回は林由郎が勝ち、第2回に優勝した石井は賞金30万円の入った袋の封を切らずに松島の夫人に差し出した。
後に80歳を過ぎても松島が経営するゴルフ練習場で、お礼奉公と称してギャラなしでレッスンを担当している。
1961年の第2回中日クラウンズではオービル・ムー ……

石井朝夫さんが亡くなってから、2年と179日が経ちました。(910日)