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島田幸作 氏(しまだこうさく)

プロゴルファー[日本]

(初代日本ゴルフツアー機構会長)

2008年 11月3日 死去膵頭部がん享年65歳

島田 幸作(しまだ こうさく、1944年5月7日 - 2008年11月3日)は、兵庫県宝塚市出身のプロゴルファー、初代日本ゴルフツアー機構会長。
プロゴルファーの島田典哉は次男。
経歴= 生家の近くに宝塚ゴルフ倶楽部があったことから早くからゴルフに興味を持ち、兵庫県立尼崎工業高等学校でゴルフを学び始める。
高校卒業後にはオートバイ工場に就職したが「工員ではうだつが上がらないし」と、母親が働いていた縁で 名門宝塚GCへ転職。
キャディをしながら 専属プロの古賀春之輔に師事し、1964年に20歳でプロテストに合格。
当時としては変わり種で向こう気の強さが武器であり、同じ関西でも、杉原輝雄ら茨木一門とは一線を画していた。
1967年の関西オープンと関西プロで2位となって、関西きっての大型選手として注目を集める。
1968年の日本プロでは青木功、村上隆、鈴村照男らと優勝を争い、72ホール目にバーディで激戦に決着をつけてプロ初優勝を飾った。
この優勝で日本のトッププレーヤーの仲間入りを果たし、島田は「名前を新聞に載せたかった」と新聞各社にコメントしている。
その後も関西オープン、関西プロと公式戦タイトルを次々に手にし、1976年の日本オープンを制覇して史上7人目のグランドスラムを達成。
この日本オープン優勝で、1977年にはジャック・ニクラスがホスト役のメモリアルに出場。
難コースと闘いながら、予選を通過し55位の成績を残している。
1975年と1977年に ……

島田幸作さんが亡くなってから、16年と18日が経ちました。(5862日)

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