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河野高明 氏(こうのたかあき)

プロゴルファー[日本]

2010年 4月22日 死去肝臓がん享年71歳

河野 高明(こうの たかあき、1940年1月4日 - 2010年4月22日)は、神奈川県横浜市出身の元プロゴルファー。
人物= 子供の頃はいつも人の陰に隠れていて、小学校の運動会ではいつも最下位であったが、負けん気だけは強く、いつも最後まで歯を食いしばって走っていた。
横浜市立保土ヶ谷中学校卒業後、父・安蔵が支配人を務めていた縁から程ヶ谷カントリー倶楽部に入り、キャディをしながらゴルフを修業。
小野光一に師事し、1959年に19歳でプロテストに合格 。
弟の光隆が日本プロを連覇(1965年・1966年)するなど先に大きく羽ばたいたため、兄の高明はその陰に隠れた形となっていたが、1967年に関東オープンで初優勝を飾ったのを機に急成長。
同年の日本シリーズでは初日にいきなり6アンダー67のコースレコードを樹立し、2位の橘田規に4打のリードを奪うと2日目も70で、71の橘田との差を更に一つ広げた。
3日目にはリードが7打差と開き、最終日も手堅く72でまとめ大会新記録の9アンダー281で優勝。
一昨年の杉原輝雄と同じ2位に1打差の圧勝であり、50万円アップした優勝賞金150万円を獲得。
4位の鈴村照男は愛知学院大学出身で、シリーズ初登場の学士プロであった。
1968年にはブラジルオープンで海外初制覇も果たし、2位には細石憲二が入って日本人ワンツーとなった。
日本オープン・日本シリーズの2冠も達成し、大会予選を通過できなかったが、推薦で出場した日本オープンは最終日に崩れるも ……

河野高明さんが亡くなってから、14年と213日が経ちました。(5327日)

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