逆鉾昭廣 氏(さかほこあきひろ)
元相撲力士、年寄・井筒親方[日本]
2019年 9月16日 死去享年59歳
逆鉾 昭廣(さかほこ あきひろ、1961年6月18日 - 2019年9月16日)は、鹿児島県姶良郡加治木町(現・姶良市)出身(出生地は東京都墨田区)で井筒部屋に所属した大相撲力士。
本名は福薗 好昭(ふくぞの よしあき)。
最高位は東関脇。
得意技は左四つ、寄り、もろ差し、外掛け。
現役時代の体格は182cm、130kg。
引退後は年寄・井筒を襲名し、井筒部屋で後進の指導に当たっていた。
来歴=
生まれ育ったのは父・鶴ヶ嶺が居宅及び部屋を構えた墨田区であるが、大相撲入り後は父の出身地である鹿児島県を自身の出身地として届け出た。
墨田区立二葉小学校、墨田区立両国中学校を卒業。
本人は中学卒業直後の入門を望んだが、体が小さかったことから、すでに入門していた兄(鶴嶺山、当時三段目)に猛反対され、目黒高校に進む。
同高の相撲部で1年生から活躍すると、反対していた兄も折れたため、高校を中退して、君ヶ浜部屋から名称を変更した直後の井筒部屋へ入門し、1978年1月場所に福薗の名で初土俵を踏む。
1981年7月場所に、兄と同時に新十両となる。
1981年11月場所は2勝13敗と大きく負け越し、幕下に陥落したが、1982年5月場所に再十両、このとき井筒部屋伝統の四股名・逆鉾に改名した。
同年11月場所に入幕し現役時代は父譲りの「相撲巧者」と言われ、立合いから相手のもろ差しに潜り込むのが速く、そこからのがぶり寄りを得意としており、技能賞、三役の常連であった。
ちなみ ……
逆鉾昭廣さんが亡くなってから、5年と67日が経ちました。(1893日)